限界夢女大学生くらしな

いろいろと限界な女子大生。メンヘラゆえか大学では心理学を専攻しています。

小学生、テニプリに出会い。気づけば王子様とは出会わずマネージャーを経験しないまま学生生活を終えようとしている。

はじめまして。

まずは数多くのサイトの中からアクセスしてくださりありがとうございます。

 

簡単な自己紹介

名前 くらしな

現在 独り身大学3年生21歳実家暮らし 

 

タイトルの通りですが、少し長文で自分語りさせてください。

突然ですが、「テニプリ」。「テニスの王子様」という作品をご存知でしょうか。

 

菅田将暉さんのラジオにて「実録ドキュメンタリー漫画」と紹介されていましたが

あながち間違ってはいません。テニスという競技に打ち込む王子様一人一人の人生がそこにはあります。

 

Wikipediaではこのようにまとめられています。

アメリカ各州のJr大会で4連続優勝の経歴を持つ天才テニス少年、越前リョーマ
アメリカから帰国したリョーマは、テニスの名門「青春学園中等部」に入学する。全国制覇を目指す青学テニス部に入部し、1年生にしてレギュラーとなったリョーマが、様々な対戦校やライバル、時に仲間との試合を経て成長していく物語。

Wikipediaより引用(テニスの王子様 - Wikipedia

 

ジャンプにて読み切りを経て1999年に連載がスタート。

作者様いや、ハッピーメディアクリエーターの許斐剛さんによって書かれています。

ハッピーメディアクリエーターについては後述するので落ち着いてください。

 

今年の10月にめでたく20周年を迎えるわけです。

まあそれだけ長く続けているとアニメの二次元キャラを推す人にとって必ず経験しなければならない試練が与えられます。

はい、時の経過です。

 

例えばこのキャラクターたち。

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主人公越前リョーマが所属する青春学園中等部の2人。

左は不二周助、右は手塚国光といいます。(敬称略)

この2人は中学3年生。右もです。右も中3です。

私を含む多くのテニプリのオタクの中で

不二周助(敬称略)は不二先輩、手塚国光(敬称略)は手塚部長なのです。

これは誰が何と言おうと揺るがない事実なのです。

主人公越前リョーマにとって永遠に彼らは先輩で上級生なのです。

同時にオタクも、ここで出会ってしまった以上永遠に彼らは先輩で上級生なのです。

21歳の女が不二先輩、手塚部長と呼ぶ人物は中学3年生です。

テニスの王子様の続きとなる新テニスの王子様では高校生が登場します。

だがしかし、彼らもみな年下。

Image 「新テニスの王子様」公式Twitterより 

彼もです。高校2年生です。年下なのです。

私は歳をとり、王子様は歳をとらない。

王子様にとっての学生生活は今現在もずっとずっと続いているのです。

 

その事実が私を苦しめます。

純粋に時の経過問題もあります。彼らが心から羨ましいのです。

 

学生という期間。それもテニスという必死に打ち込むものがある。

その期間に閉じ込められている彼らが羨ましくてたまらない。

 

小学生のとき、従兄弟からテニプリ1~23巻までを含む多くの漫画を譲り受けました。

私も従兄弟も当時ちょうどテニスを習っていました。

その日のうちに読み切り、すぐにネット検索。

どえらい世界が待っていました。

故障して音が出ないパソコンで、アニメ切り取りをみる始末。

キャラソンもCDジャケットを何分間も見つめていました。

(ちゃんとお金だして聞こうな自分よ)

初めての推しは越前リョーマくん。

グッズは文房具のクリップだったりとこっそりと楽しむ程度でしたが。

中学受験の支えはテニプリでした。中学になったらこんな生活が待っている。

テニス部に入ろう。その気持ちだけで乗り越えました。

 

中学に入りました。

いやソフトテニス部しかなくて草。シングルスなくて草。

マネージャー制度なんてなかった。

さらに最悪なことに推しの越前リョーマを敬愛しすぎるあまり

練習に参加しない、先輩とも仲良くなれない、だけど俺テニス上手いし

という地獄を生み出しました。

結果、退部。(当たり前)

試合に出たことはなく、きちんと審判ができるほどルールもわかっておらず、

ダブルスのペアすら自業自得で組めていませんでした。

得たものは、なんか自滅していじめられていたという噂。

テニス好きなくせにやる気ないという不名誉なレッテル。

置いてきたものは、気まずさ故取りに行けなかったテニスシューズとユニフォーム。

誰もいない時に部室に入ることなんてできませんからね。

それでもテニプリは傍にいました。

修学旅行で越前リョーマのキーホルダーのついたリュックをもっていくくらいには

自分は当時なんとかやっていたみたいです。

 

その後高校にエスカレーターであがりました。

硬式テニス部ありました。

でもソフトテニス部のメンバーがほぼ持ち上がり。経験者ばかり。

ソフトテニス部の人たちは本当に悪くないし高校では普通に話してました。

マネージャー制度もない。もしあったとしてもしていなかったでしょう。

勉強についていけなくなり、男女対人関係で病みがちに。

進路も二転三転し、保健室登校を繰り返していました。

それでもテニプリは傍にいました。

当時の推し丸井ブン太くんの所属する立海大付属中学校のモデルとなった

お茶の水女子大を志し、偏差値をみて愕然とした記憶があります。

スマホには画像が増えていて、グッズもだいぶ増えました。

大学になったら自分のお金で好きなだけグッズを買おう。

オタ友と遠征して、ホテルでDVDみて…と夢見ていました。

 

そして大学に入学。

シンプルにぼっちで草。

勇気を出して1つのテニスサークルの新歓に行きました。

そこのサークル今でも晒してやりたいくらいです。

近くのコートに車で移動。和やかな雰囲気。

コートつく。始まる。

誰も何も言わない。指示なし。

速すぎる球。重たい。ほぼ棒立ち。

他の1年生も同様戸惑ってはいましたが、彼らは私と違って上手かったんです。

まだそこにいる権利がありました。私はというと本気で逃げ出そうとしました。

休憩時間無言。そして解散。帰りの車の記憶が一切ありません。

新歓ですよ?

行きの車で聞いた「部活は厳しいからね~。サークルくらいがちょうどだよね。」

という言葉に戦慄しました。

マネージャーも当時のぼっち故の顔面コンプ・人間不信から当然無理でした。

 

なんだこの人生。

書いていて思いますが、恥の多い学生生活です。気づくん遅いわ…。

私に残された学生の期間は残り僅かしかない。死にたい。

 

王子様なんて出会わなかった。

マネージャーにはなれなかった。

テニプリが大好き。ですが王子様のまぶしさに苦しくなる時があるのです。

 

ただそれでもテニプリは私に寄り添ってくれます。

なぜなら、ハッピーメディアクリエータ許斐剛先生がいるから。

 

許斐剛先生は、自らをハッピーメディアクリエーター時々漫画家と称し

歌手活動を行ったり実演家として会社でも契約なさっています。

 

詳しくは2016年リリースされた

www.utamap.com

を参照してください。歌詞なのでリンクだけ置いておきます。

 

20年たった今でもファンの幸せのために動いてくださいます。

※最近では、連載20周年記念大原画展(全国ツアー)、新作劇場版(9月3日みんなみて)、公式YouTubeチャンネル「テニチャ」ではなんと毎晩アニメが1話ずつ配信されています。またミュージカルも新たなシーズンが始まります。

 

そのおかげで、人生の半分近くをテニプリと共に過ごせています。

ありがとう、テニプリ

 

私にとっては苦しくなるほどまぶしい存在。

なれなかった自分の姿というと言いすぎかもしれないし

自惚れにもほどがあるけれど。

 

必ずこれからもテニプリは私の人生の中にあります。

ここで終わっちゃいけない。

自分中の越前リョーマくんを再び呼び起こし

俺は上に行くよ

なんとか人生やっていきます。

これからもよろしくね、テニプリ